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 かく稽えて見ると、後世全く無意味荒唐と思われる玩具にも、深き歴史的背景と人間生活の真味が宿っている事を知るべきである。アイヌの作った一刀彫の細工ものにも、極めて簡素ではあるが、その形態の内に捨て難き美を含んでいるのである。
 地方僻遠の田舎に、都会の風塵から汚されずに存在する郷土的玩具や人形には、一種言うべからざる簡素なる美を備え、またこれを人文研究史上から観て、頗る有意義なるものが多いのであるが、近来交通機関が益々発達したると、都会風が全く地方を征服したるとに依り、地方特有の玩具が益々影が薄れて来て、多くは都会化した玩具や、人形を作るようになって来たのは如何にも遺憾である。

 私も父の子故、知らず識らず禅や達磨を見聞していましたが、自分はハイカラの方だったので基督教が珍らしくもあったし、日本で禁止されたこの宗教に興味も唆られて、実は意味は分らなかったが、両国の島市という本屋で、金ピカのバイブルを買って来て、高慢な事をいっていたものでした。またその頃駿河台にクレツカという外国人がいまして、その人の所へバイブルの事を聞きに行った事もありました。明治十年頃でもありましたろうか。その後森下町へ移ってから友人にすすめられて、禅を始めて、或る禅師の下に入室した事もありました。とにかく自分も凝り性でしたから、その頃には自室で坐禅三昧に暮したものでした。また心に掛けて語録の類や宗教書を三倉や浅倉で買った事もありました。その宗教書も、菎蒻本や黄表紙を売った時、一緒に売ってしまいました。

今の浅草の十二階などは、この大きいものの流行の最後に出来た遺物です。これは明治前でしたが、当時の両国橋の繁華といったら、大したもので、弁天の開帳の時などは、万燈が夥しく出て、朝詣の有様ったらありませんでしたよ。松本喜三郎の西国三十三番観音の御利益を人形にして、浅草で見世物にしたのなど流行った。何時だったか忘れたが、両国の川の中で、水神祭というのがあった。これには、の組仕事師中の泳ぎの名人の思付きで、六間ばかりの油紙で張った蛇体の中に火を燈し、蛇身の所々に棒が付いてあるのを持って立泳ぎをやる。